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存続論者反驳廃止論,人民陪审员制度的理念和实践

【摘要】:ここでは、存続論者が提出した廃止論に対する反論を整理した上で、制度が存続論者によって期待される機能を究明する。学者が期待する制度機能について1990年代以前、学界において人民参審員制度の機能に関する議論は殆ど存在しなかったが、その制度存廃をめぐる論争を契機として、制度の機能は存続論者によって初めて論じられた。

存続論者は制度の存廃に関する論争における多数派として、廃止論者の見解に真っ向から反論した上で、制度の改革を訴えてきた。ここでは、存続論者が提出した廃止論に対する反論を整理した上で、制度が存続論者によって期待される機能を究明する。

(1)廃止論への反論について

廃止論者が提出した人民参審員制度を含む一切の陪審制または参審制が西側の文化から生まれた舶来品であるため、中国の伝統文化と融合できないという廃止論に対し、存続論者は、その見解が大げさに中国文化と西側文化の間の違いを誇張して言ったことだと批判し、従来から集団の作用を重視する中国の伝統的な文化は多数の人の意思を体現する人民参審員制度と通じ合っていると指摘した上で、「現在の中国は社会主義市場経済発展の初期段階に至って、大部分の人々が貧困から抜け出し、生活レベルがだんだんと向上していて、政治権利意識も覚醒している社会情勢が、陪審制が台頭した時期の西側の社会文化環境に似ている」と主張した[10]

人民参審員の法律素養が低いことを理由として制度を廃止する論説に対し、存続論者は、人民参審員の法律知識レベルが裁判官より低いため、法律適用をする際に裁判官のように法律条文を引用し、法律問題を巧みに解決することができないのを認めたうえで、人民参審員が事実認定の方面で、裁判官より見劣りするわけではないと主張した[11]。なぜかと言うと、社会の各界から選ばれた人民参審員は、それぞれ違う生活体験や専門知識を持っているので、種々の角度から、別々の考え方に基づき事件の事実を分析し、判断を下し、裁判官の定石の考え方の不足を補うことができ、特に、複雑な技術分野に関連する事件を取扱う場合、その分野の専門家による事実認定は必ず素人より説得力があり、それに、すべての人が法律論理に従い行動すると勘違いしがちな裁判官と比べて、人民参審員は、より普通の人の混乱と誤謬を明瞭にすることができるからである。

人民参審員制度の合憲性については、存続論者は「中華人民共和国の一切の権力が人民に属する」とある中国憲法第2条第1項に基づき人民が広範な政治権力および国家の行政機関と司法機関に対する監督権力を有していると解することができるために、人民参審員制度に憲法上の根拠を提供すると主張した[12]

制度の実施が国の経済成長に不利益を齎すという廃止論に対して、存続論者は人民参審員制度の実施は確かに国家の経済の負担を増加すると認めているが、公平正義は経済成長より重要であり、第一義のものだと強調した上で、公平正義を守るために創設され、実施された人民参審員制度を経済利益の考量で廃止する見解はありえないことだと反論した[13]

(2)学者が期待する制度機能について

1990年代以前、学界において人民参審員制度の機能に関する議論は殆ど存在しなかったが、その制度存廃をめぐる論争を契機として、制度の機能は存続論者によって初めて論じられた。

総じて言えば、学者が論じた人民参審員制度の機能は、裁判の民主を体現すること[14]、および裁判の公開を進めること[15]、裁判の独立を強化すること[16]、人民が裁判に対する信頼感を高めること[17]、裁判官の知識欠如を補うこと[18]、裁判官の汚職行為を防止すること[19]、人民法院の人的不足を緩和すること[20]、法律教育を普及すること[21]という八つの働きに帰結できる。

裁判の民主を体現することについては、存続論者は、社会主義的民主政治が人民参審員制度を生んだ源だと考え[22]、〔人民当家作主〕を実現しようという政治スローガンが掲げられた社会主義の中国ではこの制度を実施するのが人民が裁判権を含むあらゆる国家権力を握って、国家を管理する主人公として位置付けることを象徴すると主張している[23]

裁判の公開を進める働きに関しては、存続論者は、「裁判の公開が中国の裁判活動の重要な原則である。……秘密の事件を除き、一切の裁判活動は公開しなければならない」と強調した上で、人民参審員が裁判の核心の段階である評議の場に居合わせ、事件の事実認定と法律適用を行う過程に最初から最後まで参与するために、裁判活動の全般は、人民の代表とする人民参審員に対して公開するようになると指摘している[24]。人民参審員が人民の代表者として合議体の構成員となって、判決が如何に下されたのかを知り得るものでもあるようになるために、裁判過程の全貌は人民参審員を媒介として、さらに広い範囲で社会に公開され、裁判活動の透明度が拡大され、裁判公開の原則は貫徹するようになる。

裁判の独立を強化する機能については、裁判官が人民法院システムの外部、つまり、人民法院所在地の人民代表大会または政府機関、党委員会のリーダーから不正な権力干渉を受けるのは避けがたく、しかも、人民法院の内部にも、院長あるいは裁判長、裁判委員会まで権力が過度に拡張し、裁判独立原則を損害する事情があるのを認めて、この現象を好転させるために、人民法院で昇進や給料などを受けない人民参審員は、その権力干渉に対して、裁判官より超然とした態度を貫き、裁判の独立を維持することができると指摘されている[25]。つまり、自分の昇進や給料などを考慮する裁判官が人民法院外部の権力層からの行政介入や人民法院内部の上級指導者の関与を拒みがたい者であるのに対して、民衆の中から選ばれた人民参審員は、人民法院外部の権力層と相当の距離を置いて、人民法院システムにも何も利益上の揉め事が存在していないために、人民参審員は裁判官より独立し裁判を行うことができる者である。

国民の裁判に対する信頼を強める機能に関しては、裁判官と国民との距離感、及び人民法院の神秘感が人民参審員制度の実施によって払拭されることが期待できるという主張がされている[26]。確かに、中国において、一生を終えるまでに訴訟に巻き込まれた経験がない国民は多数であるために、多くの国民にとって、裁判官や人民法院はあまり見慣れないものであり、それらとの間に距離感、ひいては不信感が生じやすいのが社会通念だと言える。裁判員でもあり、人民法院、裁判官を社会民衆と繋ぐ連絡員でもあると位置付けられた[27]人民参審員が裁判に参加した経験を生かし、国民と裁判官、人民法院との信頼関係を築き、固めることを期待することは可能である。

制度の裁判官の知識欠如を補う機能については、工学や医学、心理学などの専門知識を持する人民参審員を裁判に参加させることは、事実の解明に必ず役立つことができるという見解が提出された[28]。しかも、裁判官は、数年にわたって裁判を行っているため一般庶民と異なる法律専門家としての思考様式や法律人の立場が常に形成され、固定化されるために、事件を裁判する際、特に刑事事件の場合、一般庶民の価値観と乖離があるために、庶民が受け入れられない刑罰などの判決を下しがちであるのに対して、民間出身の人民参審員は、裁判官より比較的に訴訟の当事者と近い立場に立ち、生活経験を生かし、平凡な価値観と素朴な国民感情を持ち、社会民衆が納得できる判断を引き出せると主張されている[29]

裁判官の汚職行為を防止する機能を論じれば、存続論者は次のように述べている。「現実的に言えば、社会民衆は人民法院システムに対してある程度不満や不信を持していることは否定できない事実である。……少数の裁判官の腐敗問題を解決しなければ、人民法院の権威は社会民衆から認可されないのである。そこで、我が国において現段階では人民裁判員制度を廃止するべきでなく、それによって裁判官の腐敗を抑制し、裁判の公正を保障するべきである。……裁判を行う時、人民参審員は裁判官とお互いに尊重しあい、協力する関係を築き、独立の立場を貫くのである。これは、かなりの確率で裁判官が関与する政治とカネの取引、汚職腐敗などの発生を難しくし、クリーンな裁判を守る」[30]のである。

中国において、裁判官は人民法院システム外部の監督、つまり、人民代表大会、検察機関、ニュース部門と社会の各界の監督を受けている一方、人民法院システム内部、すなわち、裁判委員会、院長、裁判長、規律監察部門からも監督されているが、その外部の監督は全部事後監督、つまり、裁判官の腐敗が発生した後の摘発で、継続性がなく実効に乏しいものであり、その内部の監督は、監督職を執する者が、監督する対象である者と同じ人民法院の同僚で、人情と義理の板ばさみのために、既に発覚した裁判官の腐敗事件が往々にして〔大事化小、小事化了〕(大きい事は小さくし,小さい事は済んだこととするという意味)のように処理され、裁判官への警戒効果が希薄であるために、人民法院システム外部にもその内部にも属しない人民参審員による裁判官への監督は、それらの欠点がないばかりか、臨時で選ばれた裁判権を賦与された一般市民である人民参審員の合議体の居合わせは、裁判官の不正する心理を抑止する作用があると考えられている[31]

そして、人民法院の人的不足を解決する機能に関して、存続論者は、中国において改革開放以来、〔案多人少〕の問題、つまり、人民法院が処理する事件の数が急増している一方、相対的にその事件を取扱える合議体を構成する裁判官の不足が目立ったのを指摘した上で、人民参審員を裁判に参加させ、以前裁判官のみから組んだ合議体を裁判官と人民参審員から構成した合議体に転換することによって、余りの裁判官を前の合議体から開放し、より多くの合議体を構成することができるようになると主張されている[32]。つまり、法律によって、第一審の事件を裁判する合議体の構成員の数は、3人以上の単数でなければならないので、裁判官のみから合議体を組むと、事件を取扱う合議体の数は必ず限定されるが、人民参審員を裁判に招いて裁判官と合議体を構成する場合ならば、使える合議体の数は必ずそれより大幅に増え、したがって、〔案多人少〕の問題をある程度緩和することができるといえる。

最後に、制度の法律教育機能に関しては、人民参審員制度のために、人民参審員は、そもそも法律の門外漢であるにもかかわらず、裁判に参加することによって、訴訟手続や法律概念など抽象的な法的知識を裁判官と弁護士から勉強し、法をもって紛争を解決する意識も養成することができると考えられている[33]

以上は今度の制度改革を行う前、学界における人民参審員制度の機能に関する論述である。1999年から始動した「決定」草案の打ち出しは、立法者は、存続論者の意見に賛成する立場に立っていることを証明した。それに基づき、制度を改善·改革しようと訴えた学者は人民参審員制度を前記の八つの機能の面に位置づけていると言っても構わないと思われる。